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鶴木麻子プロフィール

東京生まれ 埼玉育ち
武蔵野美術大学卒業
テキスタイルメーカー、アパレルメーカー、雑貨メーカーを経る中、バッグの職人さん達と出会う。
自らバッグの制作をしたくなり、浅草橋のバッグメーカーのサンプル室に勤務。
その傍ら、友人達と期間限定ショップ等で、オリジナルバッグを製作・販売。
2003年に独立。
手帳カバーの受注販売をきっかけに、バッグの製作も開始。
2012年3月、金沢に移住。

日々是修行

絵を描いたり、工作したり、洋服を作ったりするのが好きで美大に入り、ただただ楽しく悪友達と青春を謳歌する、呑気な呑気な学生だった私。最初から最後まで自分の手を動かして物を作り上げる事を楽しんでいた私は、こんな感じで楽しく仕事ができたらいなぁ〜、などと思っているくらいでしたから、将来を深く考える事なんてゼロに近く、危機感すらない学生生活を送っていました。

こんなボンヤリ学生が社会人になって、もれなく直面するのは、好きな分野とはいえ、楽しいばかりではないという現実。実際には自分の手を動かす場面すら殆どなく、それでも物が出来上がっていく現実を日々思い知る事になるのでした。

思い描いた物とはちょっぴり違っていても、厳しい納期の中、大量に商品化され、挙げ句の果てには半年後のセールに掛けられてしまう…夢のようなコンセプトを掲げても、流行に追い付け追い越せと叫ぶ会社の意向との狭間で、何をデザインすればいいのか分からなくなったり…

結局は分業システムの1つのパーツでしかなく、そのパーツ同士の間にときおり起こる摩擦が、生産業務に明け暮れているに等しかったデザイナー時代には、やるせなく感じるばかりでした。

それでもイメージ通りのデザインに仕上げてもらう為、何度も職人さんとやり取りをしていくしかなかった私でしたが、そのうち、こちらの言い分を投げつけるだけでなく、職人さんの腕を信じて任せることも大切な事なんだと気づき始めたのです。そして、自分でも作り方を考えるようになり、分からない事は相談しながらデザインするようになっていきました。

そうやって素直に教えて貰えるようになり、大まかな構造が分かってくると自分でも作りたくなってしまうのが、幼い頃からの性分。
型紙から縫製まで、やりたくてやりたくてしょうがなくなってしまったのです。

なにより、アーティストやデザイナーとは別扱いされながらも、実はそれらを支えるべく確かな腕を持った縁の下の力持ちのような存在が、とても潔く思え、憧れに近い存在になっていったのでした。

呑気な学生時代のツケとして、分業システムの中で翻弄されていた私の居場所が、やっと見つかった気がしました。それまで、会社の都合に流されるように転職を繰り返していた私が、初めて自分の意志で、自分の道を定めて動き出せたのは、そんな職人さん達の潔い存在があったからなのでした。

その第一歩として、浅草橋のバッグメーカーのサンプル室に転職。その傍ら、友人達とオリジナルのバッグを制作販売した事があったのですが、その時の肩書きに「バッグデザイナー」とされ、なんだかモジモジと居心地が悪かったのを覚えています。

人によってはどうでも良いことなのかもしれませんが、紆余曲折あって、職人という居場所をみつけた私としては、「職人」という肩書きの方が、しっくり落ち着くのでした。とは言え、様々な技術を身につけた職人さん達が沢山いらっしゃることを思うと、未だ「職人を目指している」と言った感も否めません…まぁ「職人=日々是修行」って事なんでしょう。

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